2017年 X70で撮った写真25選
昨年こんな記事を書いた。
今年もたくさん写真を撮ったので、昨年同様時系列で選定してみた。
ちなみに、撮った枚数は4423枚だった。
1月
「鹿」 - 東京
クリスマスの名残のようなイルミネーション。
2月
「寒そうな階段」 - 富山
無機物と自然の組み合わせって萌えるよね。
「淡い山」 - 富山
黄昏前の光が綺麗だったんだけど上手く撮れないや。
3月
「グラッパ」 - 東京
イタリアンレストランにて。グラッパから漏れる光。
4月
「アイスたくさんちょうだい」 - 東京
屋形船からハーゲンダッツを買う男。
5月
「春の一杯」 - 東京
暖かくなってきたので外ビール。
6月
「プールと海と空」 - グアム
プールが海と地続きに見えるやつ。
「夕日」 - グアム
ちょっと記憶に無いくらい綺麗な夕日だった。
「港」 - ワシントンDC
仕事で行ったんだけど、予想外に綺麗な景色だった。
「朝」 - ワシントンDC
この後なんかチーズ挟んだトーストみたいなやつ買い食いした。
7月
写真なし(1枚もなかった)
8月
「ピカチュウタワー」 - 神奈川
夏になると横浜にピカチュウが出現するシステム。
9月
「壊れゆく」 - 長崎(軍艦島)
ここに五千人住んでいたことに想いを寄せる。
「石畳」 - 長崎
なんか長崎行くといつも雨降ってるんだよな。
「角を曲がると」 - 長崎
裏道の灯りが雨に濡れた道に反射して。
「川と生活」 - 長崎
路面電車が走ってたり道が狭かったり、町並みが可愛い。
「紫夕日」 - 熊本(天草)
天草で出会ったカメラマンのおっちゃんによると太陽フレアの影響らしい。
「電線」 - 熊本(天草)
トワイライトタイムの影絵。
「乗り込め~^^」 - 沖縄
この後めちゃくちゃマリンスポーツした。
「海」 - 沖縄
もう全部沖縄でいいんじゃないかな。
10月
「ミニチュアおじさん」 - 東京
香港ミニチュア展みたいなやつでの一枚。
「余市ポットスチル」 - 北海道(余市)
ニッカウヰスキー最高。
11月
「宮城峡ポットスチル」 - 宮城(仙台)
ニッカウヰスキー最高その2。なんでこいつ二ヶ月連続で蒸留所行ってんだ。
12月
「紅葉」 - 千葉(東京)
別にこの船には乗っていない。
「めでたい感じ」 - 東京(千葉)
来年もよろしく。
2017年8月~12月 舞台感想
記憶だいぶ薄れたので、メモっぽい。後日また更新する。
ここから増えなかったら、今年の観劇数は18。後半伸びなかった。
※ ★は個人的好み度(一般的な出来の良し悪しを評定するつもりはないです)
2017/08/09 ミュージカル「ビューティフル」 ★★★☆☆
水樹奈々さん見たさで観劇。
前半のストーリーが普通すぎて毒にも薬にもならない感じか?と思ってたら後半でグッと面白くなった。
ミュージカルらしいミュージカルで楽しめた。
2017/10/08 「関数ドミノ」★★★★☆
劇団イキウメ作品のプロデュース公演版。
瀬戸君との相性は鉄板か?演技がやっぱり凄まじい。
イキウメにしては比較的ストレートだが、考えるところは沢山あって楽しい。
2017/10/19 声の優れた俳優によるドラマリーディング日本文学名作選 vol.5 「銀河鉄道の夜」 ★★☆☆☆
声優ファン向けには心の底からオススメするけど、舞台として観るならそこまででもない。
かなり本の朗読に寄っていてキャラクターに寄り添い辛い代わりに文学的情景を楽しむことが出来る。
2017/11/15 劇団イキウメ 「散歩する侵略者」 ★★★★★
この路線においては最強。
小難しいタイプの最強は今のところ「PLAYER」だが、純粋なタイプの最強は間違いなくコイツと言える。
何故か一人で見ることになったが、溢れる感情をじっくり噛み締めたかったのでちょうど良かったかもしれない。
2017/12/27 劇団☆新感線 「髑髏城の七人」 ★★★★☆
IHIステージアラウンド東京での舞台。
座席が回転して周囲のステージの見せる場所を変えて場面転換するという特殊な演出。
幕の替わりを成すスクリーンが左右に開いたり閉じたりすることで、舞台の見せる場所を変えつつ様々な映像を映して効果的に使われる。
説明むずい……
ともかく、アトラクションのような凝った装置とそれを活かした演出が凄い。
それを抜きにしても、個性的で魅力的なキャラ、漫画的な熱いストーリーで泣いたり笑ったりとクオリティが高かった。
舞台感想「プレイヤー」(※注意:ネタバレ有)
2017/08/05 「プレイヤー」 ★★★★★
★は個人的好み度(一般的な出来の良し悪しを評定するつもりはないです)
舞台はとある劇場。国民的スターから地元の大学生まで、あらゆるキャリアを持つ俳優やスタッフが集まり、リハーサルが行われている。演目は、死者の言葉が生きている人間を通して「再生」されるという戯曲『PLAYER』。その劇中劇と、俳優たち(Player)が戯曲に書かれた言葉を再生(Play)する稽古場の世界が併走し、行ったり来たりしながら、その境界線はだんだんと曖昧になる。現実か、虚構か。
昨年の遠野物語、今年の天の敵に続いて前川さんの劇を観るのは三本目。
いずれも抜群に面白かったので最大限の期待をして観に行ったが、それを軽く上回る凄まじさを見せつけてくれた。
何が凄いかは自分の言葉で書ききれない(感想放棄)ので、今回観に行った友人と飲みながら考察したポイントをメモ的に残しておく。
自分用の備忘録。あるいは観た人が「ああ、やっぱりそれそうだよね」とか「それ違うんじゃね」とか適当に楽しむ用。
がっつりネタバレなので注意。
↓↓↓
- 「ラジオブース」の意味
時枝は「向こう」と「こちら」を通信やネットのように説明する。
その例えにおいて、ラジオは受信・発信をするものというところから「向こう」と「こちら」を繋ぐ狭間にあるという位置づけ。
そうすると、以下のシーンの説明がつく。
・終盤で7人がラジオブースに行く → 狭間へ向かう
・その後、桜井だけブースに残っている → 生きているから
・ブースが前面にせり出してくる → 狭間が近づいてくる(現実と演劇の区別が無くなる) - 天野真の愛犬「シュレディンガー」
着ぐるみの強烈な違和感。
それは馬場の向こう側のシーンを、現実では誰が演じているの?ということ。
着ぐるみを開けてみるまで中身が「向こう」か「こちら」かが分からない「シュレディンガーの猫」の状態。
開けてみると市長(現実側、だけど演じているわけがない人)が出てきてゾワッとする。 - 時枝役の俳優の違和感
現実側で妙にストイックで厳しい人当たり。
この人だけ、最初から境界が無くなっているのでは?という推測。 - 百瀬の役回り
制作の子。
本当は演じるのが好きだけど制作をやっている的な子で、練習を手伝う目的で所々劇に入ってくる。
このキャラ設定が上手い。
最初は手伝いの演技に見えるのだが、境界が無くなる頃には気づかないうちに演劇側の中にいる。 - CUT THE KNOT
「向こう」と「こちら」を別つ結び目を無くして一本にしてしまう。
でも「切る」としっくり合わないし、そもそも「向こう」と「こちら」を結んだ方がしっくりくるか。
考察不足。 - 神崎役と馬場役の絡み
境界があるうちは、演技中にちょっかいを出すと東に怒られる。
瞑想中に小松崎が覗き込むシーン然り。
なのに、神崎が「向こう」に行って倒れているところを馬場が覗き込むシーンは誰も何も言わない。
境界が消えているので、馬場は「こちら」からいなくなっていて他の誰からも見えない状態。
馬場は「向こう」に行ってから以降、一言も喋っていない。
神崎だけが馬場に反応して殴り返すが、それは神崎も「向こう」側に既に行っているから。
舞台感想「霧のむこうのふしぎな町」
2017/07/09 RITROVO 3 ピアノ朗読劇 「霧のむこうのふしぎな町」 ★★☆☆☆
★は個人的好み度(一般的な出来の良し悪しを評定するつもりはないです)
一言で、毒が無さすぎる綺麗な物語。
あまり響かなかった。
とはいえ、
この物語を世界中のこどもたちに
自分がこどもだった頃を忘れがちな、かつてこどもだった大人たちに
心からの友情をこめて贈ります
というものなので、こどもの心を失った自分の問題ではある。
ただ、絵本を読み聞かすような風合いが多く、描いてほしかったファンタジー感が物足りなかったのは事実な気がする。
意外と子供って小さくてもリアルを感じ取るものだと思うけどね。
それでも、なんだか少し懐かしい気分にはなった。
話が少し逸れることを許して貰えば、自分は子供の頃「エルマーのぼうけん」シリーズが大好きだった。
考えてみればあれも毒が無いストーリーだが、読む度にファンタジー世界の冒険を楽しんだものだ。
リュックサックに色んな道具を詰め込んでそれらを使うワクワク感。
それで一度、「エルマーのぼうけん」の劇を近所でやるというので親に連れて行って貰ったことがある。
結局、記憶はあまりないのだが、ふーん…で終わったような感覚がある。
言い換えれば、記憶に残らないほどのものだったとも言える。
ただ、そのはずなのだが、今回の劇を観てなんとなく当時の「目の前が広がっていくような子供の頃の空気感」のようなものを思い出した。
劇を観に行ったという事実が無ければ、こうやって思い返すことは無かった気がするのだ。
エルマーと一緒に冒険をしたあの頃の視界を。
今回の劇でも、子供を何人も見かけた。
「霧のむこうのふしぎな町」が好きで楽しみに来た子もいるのかもしれない。
願わくはこの劇を観た子供達にとって、大人になった頃に思い返して味わう今になることを。
舞台感想「ファラオの墓」
2017/06/04 演劇女子部「ファラオの墓」 ★★★☆☆
★は個人的好み度(一般的な出来の良し悪しを評定するつもりはないです)
モーニング娘。'17 主演の舞台「ファラオの墓」、太陽の神殿編・砂漠の月編それぞれ1公演ずつ観てきました。
その感想の記録。
ざっくり感想
ナイルキア野中ヤバない?……というのは後に書くとして。
ストーリーはちょっとテンポ早く進んでしまう感が強く余韻が少ないが、若くて勢いのある感じは良い。
ちょっと中二感というか漫画感が強いが、基本的には王道。
泣かせにくるシーンでは、素直に泣かされた。
演技は拙いところも多いが、キャラクター性の強い登場人物達が個性的に動き回る様は観ていて楽しく、違和感無く受け入れられた。
一番好きなのはミュージカルパート。流石アイドル、歌が上手い。
物語で感情が乗ったところに気持ちを込めて放たれる歌に、こちらの感情も入ってしまう。
全体としては、娘。に興味ある人であればエンタメ的に楽しめる舞台という感じ。
(興味無い人はまぁ多分そもそも観ようとしないでしょきっと)
人別感想(全員分は無い)
- スネフェル(石田・工藤)
石田さんのスネフェルが飛び抜けて良かった。
一番演技が好き。大人びていて、悪っぽくも魅惑的な雰囲気。そして愛。
このせいもあって、片方だけ観るなら断然太陽の神殿編。 - サリオキス(工藤・小田)
印象にはあまり残らない。普通の主人公。
アンケスエンとの恋も、スネフェル・ナイルキアに比べるとよく分からん感。
工藤さんの主人公感はしっくりきた。 - ナイルキア(野中)
優勝。
優しく美しい歌声。
周りの男性役達の力強く張り上げるような歌声の中で、可愛くも芯のある歌声が一際浮き上がる。
ストーリー上の扱いが良いこともあって、感情を歌うシーンの攻撃力が抜群に高い。
野中さんの演技も素直で良いし、ハープとかいう感情加算ポイントもあるよ。
好き。 - アンケスエン(譜久村)
良い人なんだけど、うん。演技と歌は文句無い。 - ネルラ(飯窪)
いちいち動きが可愛い。 - マリタ(生田)
魅力的な悪役。殺陣の格ゲー感も楽しい。 - イザイ(加賀)
かっこいい。声量良い。
加賀さんはあれね、工藤さんいなくなったら少年系主人公役に良さそう。 - パビ(横山)
シリアス多めな中で大事なコメディ要員。
演技も上手いし可愛いキャラに仕上がってて何気に凄い。
来年もタイミング合えば観たい。
舞台感想「天の敵」
2017/05/20 イキウメ 「天の敵」 ★★★★★
★は個人的好み度(一般的な出来の良し悪しを評定するつもりはないです)
(軽いネタバレあり)
ジャーナリストの寺泊 満は、菜食の人気料理家、橋本和夫に取材を申し込む。 当の寺泊は健康志向とは真逆の人間だが、薬害や健康食品詐欺、疑似科学や偽医療の取材経験も多く興味があった。 寺泊は長谷川と橋本の容姿がよく似ていたことに興味を持ち、ある仮説を立てて取材に望んだ。 |
http://www.ikiume.jp/ 「天の敵」
土曜に劇団イキウメ公演「天の敵」を観てきた。
イキウメの作家である前川知大さんの関わった「遠野物語・奇ッ怪 其ノ参」を観たことがあるだけで、イキウメの劇団公演は初めて。
結論から言うと、物凄く面白かった。
好きだな~と思った幾つかの要素があるので、書き並べてみる。
非現実のリアル感
この作品で抜群に好みなのが、非現実のリアル感。
現実と地続きな非日常世界が本当にあるのではないかと思わせる感触。
ざっくり言うと「あぁ、122年生きてきてるわコイツ」感が凄い。
設定の説得力もあるし、体験したかのように語る演技の説得力もある。
個人的にこの非現実のリアルさはSFの大事なところだと思っているので、そこを丁寧に描ききっているのがとても好き。
語られる過去のシーンと現在を同じ舞台上で織り成す
これはもしかしたら、イキウメの得意技だったりするのかな?
回想の語り手や聞き手(以下、現在組)が舞台上に残ったままに、別の演者が出てきて過去のシーンを演じる(以下、過去組)という技。
これの面白いところは、
・現在組が過去組に対してリアクションを取る
・現在組が一緒に過去シーンを演じ始める
というコメディ的なカットを挟んでくるので、軽く笑ってしまうところ。
全体的にはシリアスなストーリーだったが、時折笑わせてくれるおかげで全体がグッと引き締まる。
遠野物語でも似たような演出を使っていて、面白いなぁと思った記憶がある。
切り替えのややこしさ無くスッと頭に入ってくるのは凄いところ。
今回の「天の敵」に関して言えば、語り手である長谷川卯太郎の回想の時系列が過去から現在に近づくにつれて、過去と現在の干渉を強くしていっていたのが上手いと思わされた。
具体的には、
・初めは過去組に対してリアクションの薄い現在組が、段々と過去組にリアクションを取るようになってくる
・現在組が一緒に過去シーンを演じるようになる
・長谷川卯太郎の過去役がいつの間にかいなくなり、現在組の長谷川卯太郎が過去役も演じ始める
・過去組が起こした物理現象が、現在組の場所で起きたこととして扱われるようになる
と順に変化していた。
ストーリー上、122歳の人物の過去から現在を描く必要があるため、この演出によってとても長い時間を遡りつつも、現在と遠い過去が一本線で繋がった人物が、本当に生きてきたのだというリアルな感触を描き出すことに成功していたように思う。
生きる意味と向き合う物語
つまりはお話が良いってことなんだけれども。
兎にも角にも、考えさせてくれる要素が多い。
このシーンや設定の意味って、もしかしてこういうことじゃ…!という解釈をしてみたり、純粋に物語を自分に当てはめて考えてみたり。
多分人それぞれ違う考えに至るのだろうけど、各々に妄想の自由を与えている。
キャッチコピーが「人生という、死に至る病に効果あり。」
死を治療することは、もはや人の生では無くなる。
食を楽しめない、子供を作れない、戸籍が残せない...etc.
それでも老化や病気によって死を目前にすると、人は恐怖から死を逃れようとする。
目前にしなくたって、人は健康でいたいと願い続けている。
改めて考えるとラストシーンの言葉の意味も、どちらとも取れるように思う。
死を受け入れることとも、人としての生を捨てることとも。
もしも人生の果てを「人生の放棄」と「死」のどちらにするかを選ぶことが出来るようになったとしたら、自分はどちらを選ぶのだろうか。
妄想は尽きない。