舞台感想「プレイヤー」(※注意:ネタバレ有)
2017/08/05 「プレイヤー」 ★★★★★
★は個人的好み度(一般的な出来の良し悪しを評定するつもりはないです)
舞台はとある劇場。国民的スターから地元の大学生まで、あらゆるキャリアを持つ俳優やスタッフが集まり、リハーサルが行われている。演目は、死者の言葉が生きている人間を通して「再生」されるという戯曲『PLAYER』。その劇中劇と、俳優たち(Player)が戯曲に書かれた言葉を再生(Play)する稽古場の世界が併走し、行ったり来たりしながら、その境界線はだんだんと曖昧になる。現実か、虚構か。
昨年の遠野物語、今年の天の敵に続いて前川さんの劇を観るのは三本目。
いずれも抜群に面白かったので最大限の期待をして観に行ったが、それを軽く上回る凄まじさを見せつけてくれた。
何が凄いかは自分の言葉で書ききれない(感想放棄)ので、今回観に行った友人と飲みながら考察したポイントをメモ的に残しておく。
自分用の備忘録。あるいは観た人が「ああ、やっぱりそれそうだよね」とか「それ違うんじゃね」とか適当に楽しむ用。
がっつりネタバレなので注意。
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- 「ラジオブース」の意味
時枝は「向こう」と「こちら」を通信やネットのように説明する。
その例えにおいて、ラジオは受信・発信をするものというところから「向こう」と「こちら」を繋ぐ狭間にあるという位置づけ。
そうすると、以下のシーンの説明がつく。
・終盤で7人がラジオブースに行く → 狭間へ向かう
・その後、桜井だけブースに残っている → 生きているから
・ブースが前面にせり出してくる → 狭間が近づいてくる(現実と演劇の区別が無くなる) - 天野真の愛犬「シュレディンガー」
着ぐるみの強烈な違和感。
それは馬場の向こう側のシーンを、現実では誰が演じているの?ということ。
着ぐるみを開けてみるまで中身が「向こう」か「こちら」かが分からない「シュレディンガーの猫」の状態。
開けてみると市長(現実側、だけど演じているわけがない人)が出てきてゾワッとする。 - 時枝役の俳優の違和感
現実側で妙にストイックで厳しい人当たり。
この人だけ、最初から境界が無くなっているのでは?という推測。 - 百瀬の役回り
制作の子。
本当は演じるのが好きだけど制作をやっている的な子で、練習を手伝う目的で所々劇に入ってくる。
このキャラ設定が上手い。
最初は手伝いの演技に見えるのだが、境界が無くなる頃には気づかないうちに演劇側の中にいる。 - CUT THE KNOT
「向こう」と「こちら」を別つ結び目を無くして一本にしてしまう。
でも「切る」としっくり合わないし、そもそも「向こう」と「こちら」を結んだ方がしっくりくるか。
考察不足。 - 神崎役と馬場役の絡み
境界があるうちは、演技中にちょっかいを出すと東に怒られる。
瞑想中に小松崎が覗き込むシーン然り。
なのに、神崎が「向こう」に行って倒れているところを馬場が覗き込むシーンは誰も何も言わない。
境界が消えているので、馬場は「こちら」からいなくなっていて他の誰からも見えない状態。
馬場は「向こう」に行ってから以降、一言も喋っていない。
神崎だけが馬場に反応して殴り返すが、それは神崎も「向こう」側に既に行っているから。