雪鳥の記憶

趣味とかの記録

舞台感想「天の敵」

2017/05/20 イキウメ 「天の敵」 ★★★★★

★は個人的好み度(一般的な出来の良し悪しを評定するつもりはないです)

 

(軽いネタバレあり)

 

ジャーナリストの寺泊 満は、菜食の人気料理家、橋本和夫に取材を申し込む。
きっかけは妻の優子だった。
寺泊は難病を抱えており、優子は彼の為に橋本が提唱する食餌療法を学んでいた。

当の寺泊は健康志向とは真逆の人間だが、薬害や健康食品詐欺、疑似科学や偽医療の取材経験も多く興味があった。
優子がのめり込む橋本を調べていく内に、戦前に食餌療法を提唱していた長谷川卯太郎という医師を知る。

寺泊は長谷川と橋本の容姿がよく似ていたことに興味を持ち、ある仮説を立てて取材に望んだ。
寺泊は、プロフィールに謎の多い橋本は長谷川卯太郎の孫で、菜食のルーツはそこにあると考えた。
橋本はそれを聞いて否定した。
実は橋本は偽名で、自分は長谷川卯太郎本人だと言う。本当なら122歳になる――。

http://www.ikiume.jp/ 「天の敵」

土曜に劇団イキウメ公演「天の敵」を観てきた。
イキウメの作家である前川知大さんの関わった「遠野物語・奇ッ怪 其ノ参」を観たことがあるだけで、イキウメの劇団公演は初めて。

結論から言うと、物凄く面白かった。
好きだな~と思った幾つかの要素があるので、書き並べてみる。

非現実のリアル感

この作品で抜群に好みなのが、非現実のリアル感。
現実と地続きな非日常世界が本当にあるのではないかと思わせる感触。
ざっくり言うと「あぁ、122年生きてきてるわコイツ」感が凄い。
設定の説得力もあるし、体験したかのように語る演技の説得力もある。
個人的にこの非現実のリアルさはSFの大事なところだと思っているので、そこを丁寧に描ききっているのがとても好き。

語られる過去のシーンと現在を同じ舞台上で織り成す

これはもしかしたら、イキウメの得意技だったりするのかな?
回想の語り手や聞き手(以下、現在組)が舞台上に残ったままに、別の演者が出てきて過去のシーンを演じる(以下、過去組)という技。
これの面白いところは、
・現在組が過去組に対してリアクションを取る
・現在組が一緒に過去シーンを演じ始める
というコメディ的なカットを挟んでくるので、軽く笑ってしまうところ。
全体的にはシリアスなストーリーだったが、時折笑わせてくれるおかげで全体がグッと引き締まる。
遠野物語でも似たような演出を使っていて、面白いなぁと思った記憶がある。
切り替えのややこしさ無くスッと頭に入ってくるのは凄いところ。

今回の「天の敵」に関して言えば、語り手である長谷川卯太郎の回想の時系列が過去から現在に近づくにつれて、過去と現在の干渉を強くしていっていたのが上手いと思わされた。
具体的には、
・初めは過去組に対してリアクションの薄い現在組が、段々と過去組にリアクションを取るようになってくる
・現在組が一緒に過去シーンを演じるようになる
・長谷川卯太郎の過去役がいつの間にかいなくなり、現在組の長谷川卯太郎が過去役も演じ始める
・過去組が起こした物理現象が、現在組の場所で起きたこととして扱われるようになる
と順に変化していた。
トーリー上、122歳の人物の過去から現在を描く必要があるため、この演出によってとても長い時間を遡りつつも、現在と遠い過去が一本線で繋がった人物が、本当に生きてきたのだというリアルな感触を描き出すことに成功していたように思う。

生きる意味と向き合う物語

つまりはお話が良いってことなんだけれども。
兎にも角にも、考えさせてくれる要素が多い。
このシーンや設定の意味って、もしかしてこういうことじゃ…!という解釈をしてみたり、純粋に物語を自分に当てはめて考えてみたり。
多分人それぞれ違う考えに至るのだろうけど、各々に妄想の自由を与えている。

キャッチコピーが「人生という、死に至る病に効果あり。」
死を治療することは、もはや人の生では無くなる。
食を楽しめない、子供を作れない、戸籍が残せない...etc.
それでも老化や病気によって死を目前にすると、人は恐怖から死を逃れようとする。
目前にしなくたって、人は健康でいたいと願い続けている。

改めて考えるとラストシーンの言葉の意味も、どちらとも取れるように思う。
死を受け入れることとも、人としての生を捨てることとも。

もしも人生の果てを「人生の放棄」と「死」のどちらにするかを選ぶことが出来るようになったとしたら、自分はどちらを選ぶのだろうか。
妄想は尽きない。